2012年4月23日月曜日

桜咲く


 
都会の人工的な満開の桜の木の下で、
花より団子なわたくしは、

さくら~ さくら~ やよいの そ~ら~は~♪  と
は~る~こ~ぉ~ろ~ぉ~の~ は~な~の~宴~♪ 
そして 陽水クンの 「桜三月散歩道」の3曲をつま弾きながら、
散り行く桜たちと戯れつつ ウトウト居眠りこいていました。
東京の桜が散ったあと、標高の高いとある旧街道へと赴き、
花見用のお弁当と和菓子とお茶を持ち込んで、小高い山路の中腹に咲く桜の木の下で、倭の國の原風景・里山にある満開の春を楽しんだ。
しばらくして
風もなく ハラハラと花散る桜の下、
去年の芝公園に咲く満開の桜を思い出し、
主(あるじ)なしとて 今年も咲いているであろう 福島の桜と、その主の悲しみを想う。 
 

水や空気、田畑や森林・河川や豊穣の海より 電気が大切というのか。
生きとし生けるものすべての命より、経済が、金が大事というのか。

過ぎ行く春の 美しさと 悲しみ そして失った多くの怒りに 想いを馳せるのだった。

そんな中、
福島の吉田さんから、彼の娘さんが第一希望の高校に無事「合格」したという
吉報を思い出した。

桜咲く。 満開の サクラ サク!

こころから おめでとう。




2012年2月25日土曜日

福島の家族に。



広瀬隆(ひろせたかし)さんと、小出裕章(こいでひろあき)さんのメッセージに聞き入っていると、想い出してしまう家族がいる。

福島県の南部・石川郡玉川村にて、愛すべき3人の子供たち、そして優しくがんばり屋の奥さんと暮らす彼らは、森と田畑広がる素朴で美しい日本の源風景の村落で、代々農業を生業として豊かに暮らす家族だ。
福一原発事故の放射能拡散による田畑や水、そして大地や森、そして子供たちへの様子を聞いたところ、20キロ西部の白河に比べると、石川郡あたりは汚染がまだ少ないという。
作った野菜やお米は、高性能の測定器を独自で購入し、計測して記録し続け「安全」を確認しているのだ。
その諸々の手間や精神的な苦労を想うと、胸がいたむ。
いくつかの情報を交わしたあとに、携帯電話の向こうで、こんな話を彼はつぶやいた。

日頃、家屋内に閉じこもりがちなので、子共たちの外遊びのために福島県外へ出向いたところ、いくつかのキャンプ場で、車の「いわきナンバー」をみて入口ゲートで入場を断わられ、あるキャンプ場では、止めていた車体に「福島へ帰れ」「放射能をまき散らすな」などと、イタズラ書きをされたという。
そして、彼の子供たちは「もう、キャンプには行かない」「他県には行かない」と悲しんでいる。と

なんと言うことだ。
いつから日本人は、こんなにも残酷で情けない人々に変貌したのだろう。

苦しみ、困っている人たちに対して、その事を我が身に置き換える「想像力」を、そして「想いやる心」を、いったいどこへ置き去りにして来たのだ。

その行ないは、これほどの事故を起こしても原発をいまだに推進する人々と同様の、非人道的かつ非情な冷たさを感じる。
日本人はいつから、こんなにも「心のない貧しい民族」に変わってしまったのだろう。

……… 子供たち そして彼ら家族の、そのときの気持ちを想うと、胸奥が詰まる。

しばらくして彼は、今、上の子が高校受験に励んでいて、合格したら「沖縄」に一緒に遊びに出かけるという。
「合格したらもちろんだけど、合格しなくても、いつでも沖縄においでよ」と言葉をかけたら、笑い声と共に「そのときは、よろしくお願いします。」と明るい返事が返ってきた。

人工的建造物や灯りひとつない白い砂浜で、月明かりの下、小さな焚き火を熾し、そして暖かい飲み物を分け合いながら、天に輝くオリオンやシリウス、大きな北斗七星の夜空でも眺めましょう。月明かりに輝く、沖つ白波もとても幻想的で美しいですよ。
よろこんで「パラダイス沖縄」をご案内させていただきます、吉田さん。


  そうだ!思い立ったが吉日、 今日は大安だから、普天満宮の神様へ合格祈願の「お参り」をしてこよう。 

            良き事が ありますように。








2012年2月18日土曜日

この時代



今 我々は どんな時代を生きているのだろう。

「出版」という路を選び、いくつかのメディアを渡り歩いていたつもりだったが、気が付けばとんでもない時代のうずに巻き込まれている現実を知る。

東日本大震災をはじめ、福島の原発事故、そしてその後の放射能汚染。
悪徳官僚支配による政治の迷走。そして、最高権力を持つ最高裁裁判官および検事正たちと特捜検察、そして全国津々浦々の警察組織をはじめとする裏金問題や、その司法組織と癒着した一部の政治家たちによる、小沢一郎や鈴木宗男に対する国策操作の職権乱用。

いままで白と想っていた多くが黒であり、黒と想っていた幾つかが白や灰色だったりしている。

すべての命ある物にとって、生きるに必要不可欠な「水」と「空気」を汚し、海山河川湖沼そして森林に至る多くの生態系を狂わせ始めた放射能汚染、そしてこれから何十年、いや何百年と多くの人々を苦しめ続けるであろう原発事故が起こっているにもかかわらず、いまだに原発を推進する狂った経済や政治家たち。

20〜30年、いや50〜100年後の未来の人々は、2011〜2012年のこの狂った時代を、どんなふうに想うのだろう。

来月11日で、あの日から1年がたつ。

我々は今、どんな時代を生きているのだろう。


●ジャーナリスト・岩上安身  IWJ   Independent Web Journal
http://www.ustream.tv/recorded/19317792
http://www.ustream.tv/recorded/19317792

●元レバノン大使 天木直人 ブログ
http://www.amakiblog.com/
http://www.amakiblog.com/

●八木啓代 ブログ


2012年1月1日日曜日

「龍」のはなし

昨年11月の、ブータン国王来日に際しての国会における国王歓迎会にて、感動的な挨拶と貴重なメッセージを伝えてくれた国王ジグミ・ケサル氏は、北陸の東日本災害地を訪れた際にも、子供たちを前にご自身の「龍」の話をなされていた。
人の心の中には、人それぞれ1匹の「龍」が宿っており、人は自身の善良なる心をもって、その「龍」を一生かけて育てなくてはならない。と

奄美大島生まれのワタシは、そんなこととはツユ知らず、幼い頃から現在に至るまで、海と川、野原や町中で、これでもかと遊びまくっていた。
泳ぎ、潜り、溺れ、歩き、走り、転び、ケガをくり返しては、また歩き出す。そして、その中で出会えた幾つかの感動を「絵」という楽書(らくがき)をとうして、ず~っと描きつづけ遊んでいるのだった。
そんなワタシでも小学30年生の頃、「龍」に出会ったことがある。
台風を描きたくて、台風上陸4日前に奄美へと渡り上陸3日前から、強い雨と風の中、野宿をくり返していた。そんな中、太平洋に面した小さな入り江の、とある海岸でのこと。
海岸線谷間に聞こえる地響きの音に向かって、外洋の強風に飛ばされる潮つぶてに打ち付けられながら小高い丘に駆け上がった。
眼の前40m下に繰り広げられる外洋7~8mの高波が、幅100m左右の岩高50~60mほどに切り立つ入り江の中で、天地左右、縦横無尽にズドドド~ズッドォ~ンと暴れ狂っている。手前の波打ち際には大人の握りこぶし2個分くらいの大きな玉石ばかりが堆積しており、波打ち際から一気に40~45度の角度で4~5mの高さまでその玉石ばかりが迫り上がっているのだ。
その波打ち際に押し寄せる5~6mの高波は、一気にゴオオォォォ~と音を立てながら玉石を押し上げ、返す引き波にてガラガラガラガラ~とこれまたドでかい音を入り江の谷間に響かせながら、切り立つ深い海へと玉石を引きずり下ろすのである。
くり返されこだまする谷間の地響きと、眼下に荒れ狂う高波は、龍玉のような透明感のある若草色の巨大なうねりで、まるでドでかい「龍」が入り江の中で暴れ回っている様なのであった。

打ちつける潮でずぶ濡れになりながらも、20~30分余り、その感動に立ちつくし巨大な「龍」を眺めつづけていた。そして、ある瞬間に、コレまで遊びつづけ描きつづけていた多くの海岸線の景色や、生き物たちが内包する今日に至るまでの悠久の時間が、連続性をもってフラッシュ・バックしながら光り輝き、自分の脳裏にひとつの時間軸の流れとしてまとまったのである。
沖縄、奄美がかつて「琉球國」と呼ばれていた意味、そして台風という巨大な「龍」の力によって育まれた多くの命の尊さを改めて認識した瞬間なのだった。

開けて本年〜2012年は「龍」の年。

今年が、日本という国、そして私たち個人の中に宿っているであろうそれぞれの「龍」が、自身の善良なる心で、光り輝く年でありますように。 
めざせ アカルイミライ


2011年12月8日木曜日

ジョンの魂


41年前の1980年12月9日から、毎年12月8〜9日の2日間はジョンレノンの音楽と言葉の魂に満たされる。
ジョンの魂よ 永遠なれ

2011年11月11日金曜日

芝生の上の 小さな焚き火


秋の夕陽に 照る山 も〜み〜じ~♪

しばらくぶりの長野・駒ヶ根は 秋色に染まっていた。
山に分け入り潅木から小枝を切り出し、河原に下りて「焚き火カマド」に使う小さな平石をいくつか拾い集める。
宝剣岳から吹き下る秋風の中、タープを低めに張りコッドを置いて、いつものタープ・キャンプ・サイトを組み上げた。三つ又の焚き火棚を作り、芝生の上で熾す小さな「焚き火台]を組む。
火を熾し、お湯を沸かしてミルクティを入れ、天竜川を挟んで対景にひろがる南アルプスの嶺峰、その雄大で美しい薄桃色の夕景をひさしぶりに眺めた。


「水」のこと、「木」もしくは「林森」とのこと。
そして、電気やガスという 「エネルギー」のこと。 そして、「雪」のこと。

ここ駒ヶ根で3年間、蔵に住み、週末の薪作りをはじめ、日々の薪割りと薪運びをくりかえした。できるだけローソクの灯りを使い、ガスを止め、薪ストーブでの調理および暖房と、沸いたお湯での沐浴と洗濯。そしてコンポスト・トイレとインド風・手動式ウォシュレット等など、楽しい充足の日々を送り、薪ストーブを焚き暮らして、寒山にて生きることの多くを学んだ。。

ありがとうございます、田渕さん、彩子さん。
ポールさん、淳子さん、松ちゃん、ファイヤーサイドの皆々様。そして、

おめでとうございます、ファイヤーサイド25周年。
    2011年 秋  心からの感謝をこめて。



2011年10月28日金曜日

「’69年のスピリッツ」よ 再び!

ひさびさに '69 WOODSTOCK を見た。
サンタナ、ジャニスはもちろんのこと、ジミヘンのアメリカ国家ギターソロ〜そして続くパープルヘイズには、改めて鳥肌が立った。

サンタナの次ぎに登場する Sly & Family Stone の 「I want to take you higher!」のボーカルによるMCがサエている。「higher!と叫び、右手で高くピースサインを上げろ!」と暗闇の中の60万人に向け叫びつづけ、最後には全員一体となり右手を高々と上げ 「higher!」と大合唱をくり返すのである。
ベトナム戦争まっただ中で、未来の見えないアメリカの若者たちの苦悩とその時代の叫び、そして「Freedom」という魂の解放が、見事に記録されていたことに改めて感動した。
この1969年8月の60万人によるウッドストックの出来事をキッカケにして、アメリカの多くのミュージシャンや若者たちは立ち上がり、声を上げ、行動を起こし、国策ベトナム戦争と時のニクソン政権にNOを叩き付けるのだった。
ウッドストックでの愛と平和と音楽による、若者たちの精神的・魂の解放と連帯感は、やがて同’69年10月のアメリカ全土の200万人(サンフランシスコとワシントンで50万人)による反戦デモへと広がり、翌70〜71年にかけてのワシントンDCにおける50万人反戦デモへ、そしてその活動はベトナム戦争終結とニクソン政権の終了を勝ち取るのである。
「ホテル・カリフォルニア」で イーグルス 唄うところの 「’69年のスピリッツ」である。

さてさて、2011年の日本は、どうだろう。
これだけ多くの人々を苦しめ、これから何十年と迫り来る放射能汚染の不安をまき散らす「原発事故」に対して、見ザル、言わザル、聴かザル、を決め込み、目の前の危機に大してNOもSTOPも、何の問題提起も発しない多くの玉無しミュージシャンと若者たち。
そして、今となっては日本国民の70〜80%が脱および反原発に意識改革しはじめているにもかかわらず、その動きに対して何も伝えないテレビ・大手新聞界のマスコミ世論ねつ造操作。
風評被害という言葉をあやつり、汚染された食品を国民に強要する国家と3-11以後の前記マスコミたちが操作する社会風潮。
おかしい。
まるで先の大戦時における日本帝国大本営と、戦争批判をすると非国民扱いする時代の社会風潮、そして大本営と結託してエセ情報をタレ流し、国民を破滅へと導いた大手新聞・マスコミ界たちの再来である。
誰が放射能で汚染された食物を我が子に与えるだろうか? 親が子供の命を守る行為は、活けとし生けるもの全ての本能なのだ。
はっきり言ってしまおう。放射能で汚染された・もしくはその可能性のある食べ物は、決して子供たちに与えてはならないと。
これから先、25年の未来は、今一度「チェルノブイリ原発事故」から学び取るしかないのだ。残念なことだが、ここに至っては原発事故の重大さと、そこに迫る危機を知り、そして声を上げて伝え合い、ひとり一人が危機意識をもって次ぎなる時代に向けて行動すべき時である。
’69年のスピリッツよ再び!  めざせ アカルイミライ !  を。